2018年9月森保一監督が就任した日本代表のゴールキーパーとして東口順昭選手、権田修一選手、シュミット・ダニエル選手が選ばれました。
その中で、東口順昭選手には川島永嗣選手の後を継ぐゴールキーパーとして期待がかかります。
これまで何度も日本代表にも選ばれ、ガンバ大阪の守護神としても活躍しており、実績は十分です。
読み方はひがしぐちまさあき選手です。
そんな東口順昭選手のプロ入り前とプロ入り後についてご紹介したいと思います。
遠回りをしてプロへ?苦労人ゴールキーパー!
東口順昭選手は大阪府高槻市出身です。
中学時代はガンバ大阪ジュニアユースでプレーしていました。
本田圭佑選手、家長昭博選手と一緒にガンバ大阪ジュニアユース時代を過ごしています。
残念ながらユース昇格は叶わず、京都の洛南高校に進学しました。
本田圭佑選手もガンバ大阪のユースに昇格できなかったのはよく知られています。
その後、福井工業大学に入学しましたが、2年生の時にサッカー部が解散してしまいました。
その為、新潟経営大学に転入し、そこから徐々に頭角を現してきました。
4年時にアルビレックス新潟の特別指定選手となり、大学卒業後はそのままアルビレックス新潟に入団しました。
古巣のガンバ大阪からも獲得オファーがあったようです。
東口順昭選手は非常に苦労かつ遠回りをして、プロの世界に足を踏み入れました。
アルビレックス新潟でプロデビュー!その後も苦労の連続
東口順昭選手はアルビレックス新潟加入後、2年目のシーズン2010年に相次ぐゴールキーパーの負傷離脱により、Jリーグデビューを果たしました。
その後、正ゴールキーパーの座をつかむものの、途中全治3ヶ月の重傷を負い一時離脱しました。
2011年は開幕からレギュラーの座をつかむものの、夏場に全治8ヶ月の重傷を負い、また離脱しました。
2012年はリハビリから復帰し、先発復帰するものの10月に再度全治8ヶ月の重傷を負ってしまいました。
2013年は第14節から復帰し、そのまま先発としてアルビレックス新潟のゴールマウスを守り続けました。
そして、2013年12月古巣ガンバ大阪に復帰しました。
2013年シーズン、ガンバ大阪は長谷川健太監督を迎えJ2で戦っていました。
その年、見事J1への復帰を果たし、東口順昭選手も新生ガンバ大阪の黄金時代を長谷川健太監督の下、過ごすことになりましす。
ガンバ大阪はJ1復帰後、すぐに国内三冠を達成し、東口順昭選手もファインセーブを連発し勝利に貢献しました。
その後、東口順昭選手は4年間ガンバ大阪の正ゴールキーパーの座を守り、2018年5シーズン目に突入しました。
まとめ
東口順昭選手は2011年から日本代表に選ばれていますが、川島永嗣選手の壁を破れず、出場試合は限られています。
新生日本代表で、是非ゴールマウスを守り、正ゴールキーパーの座をつかんで欲しいと思います。