中村俊輔選手は最近では数少ないファンタジスタ、サッカーを見に行った人をワクワクさせることができる選手です。
中村俊輔選手と言えば、フリーキックが有名で、フリーキックによる得点はJ1最多24ゴールを記録しています。
そして、パスの能力も非常に高く、1本のパスで試合展開を決定づけることができます。
試合を見に行ってスタンドから見ていて、ここにパスを出したらいいのにと思っているとそこにパスが出ます。
スタンドから見ていて分かることが、ピッチレベルでできてしまうので驚きです。
中村俊輔選手は、桐光学園から横浜マリノスに入団、イタリアのレッジーナ、スコットランドのセルティック、スペインのエスパニュールを経て、横浜F・マリノスに復帰し、現在はジュビロ磐田でプレーしています。
そんな中村俊輔選手の高校時代から横浜Fマリノスでのプレー、海外でのプレーをご紹介したいと思います。
横浜Fマリノスで10番を背負う!
中村俊輔選手は、高校2年の時に桐光学園を冬の全国高等学校選手権大会出場に導き、3年時には第75回全国高等学校選手権大会でチームを準優勝に導きました。
決勝の相手は北島秀郎さん率いる千葉県代表市立船橋高校でしたが、残念ながら1対2で敗れました。
高校時代からフリーキックが得意でしたが、通常のプレーにおいても鋭いパス、巧みなフェイントを持ち合わせていました。
今、当時の試合を見ても、1人レベルの違う選手がいる印象です。
高校卒業後、横浜Fマリノスに入団し、3年目に背番号10を背負い、日本を代表する選手になりました。
そして、2002年ついに海外移籍、イタリアのレッジーナへ移籍しました。
中村俊輔選手といえば、サッカーノートが有名です。
サッカーノートには目標、課題、反省、記録、そしてその時の感情まで書かれていたようです。
高校時代から練習も人一倍しており、それはプロになっても変わらず続けています。
常に居残りでフリーキックの練習等をしていました。
セルティックでチャンピオンズリーグ出場!フリーキックを決める
最初の海外での移籍先は、イタリアのセリエAレッジーナ、そのチームで背番号10を背負いました。
中村俊輔選手のイタリア移籍は少々意外な感じでした。
守備的なイメージの強いイタリアセリエAでどのような活躍をするのか、想像ができませんでした。
しかも移籍先のレッジーナはセリエAでも下位に位置するチームで常に守勢に回ることが予想されるチームでした。
そのような中、移籍した初年度は得点にこだわり、見事チームの信頼を勝ち取ったのではないでしょうか。
そして3年過ごしたレッジーナから新天地スコットランドのセルティックへ移籍しました。
スコットランドは決してレベルの高いリーグではありませんが、セルティックはその中で常に優勝を争うチームであったこと、そしてUEFAチャンピオンズリーグに出場できるチームであったことが魅力だったのではないでしょうか。
セルティックで中村俊輔選手は、チームの中心選手となり、数々のフリーキックを決め、今もファンに愛される存在だと思います。
何と言っても有名なフリーキックはUEFAチャンピオンズリーグのマンチェスター・ユナイテッド戦で決めたフリーキックでしょう。
セルティックで4年間過ごしたのち、夢であるスペインのエスパニョールへ移籍しました。
年齢的に少し移籍するタイミングが遅かったか、あまり目立った活躍ができず、横浜Fマリノスに復帰しました。
まとめ
2018シーズン中村俊輔選手はジュビロ磐田でプレーしています。
年齢も6月で40歳、しかしながらまだまだ衰えることなく現代サッカーへ適応しようとしています。
2002年日韓ワールドカップは直前で落選、2006年ドイツワールドカップは中心選手として活躍、2010年南アフリカワールドカップは出場するも、本田圭佑選手と世代交代で1試合の出場にとどまりました。
数々の成功と挫折を味わっている選手ですが、できるだけ長く活躍していただきたいと思います。