権田修一選手は、アジアカップ2019の初戦、日本代表のゴールキーパーとして先発出場しました。
2022年ワールドカップ出場を目指す森保ジャパンの正守護神に一番近い選手です。
2018年シーズンはサガン鳥栖でプレーしていた権田修一選手ですが、ポルトガル1部のポルティモネンセへの移籍も噂されています。
海外志向の強い権田修一選手ですが、今後どの道を選択するでしょうか。
権田修一選手のこれまでの活躍をご紹介したいと思います。
日本NO.1ゴールキーパー権田修一!FC東京からSVホルンへ?オーバートレーニング症候群
権田修一選手は中学時代FC東京U15、高校時代FC東京U18に所属していました。
高校時代に2種登録選手としてFC東京のトップチームに帯同しています。
トップチーム昇格後、3年目には正ゴールキーパーとしてスタメン出場するようになり、その後はコンスタントに試合に出場しています。
権田修一選手は、シュートに対する鋭い反応が持ち味で、2012年に就任したランコ・ポポビッチ監督から日本でNO.1のゴールキーパーと全幅の信頼を寄せられていました。
しかしながら、2015年シーズン、試合後のロッカールームで当時のマッシモ・フィッテガン監督と衝突したことをきっかけに心身が燃え尽きてしまいました。
そして、オーバートレーニング症候群と診断され、長らく戦列を離れることとなりました。
その後、チームに復帰するものの、環境を変えるため、欧州へと向かいました。
本田圭佑選手のラブコールもあり、本田圭佑選手が実質オーナーを務める当時オーストラリア3部のSVホルンへ期限付き移籍しました。
SVホルン移籍直後、ケガで離脱してしまいましたが、復帰後は正ゴールキーパーとしてゴールマウスに立ち続けました。
SVホルンは同シーズン、オーストラリア3部リーグで優勝し2部に昇格しました。
権田修一選手は、SVホルンでプレー意欲を取り戻し、SVホルンへの期限付き移籍終了後、欧州での移籍を模索しました。
しかしながら、移籍先が見つからず浪人状態となったが、サガン鳥栖から声がかかり、日本へ復帰しました。
サガン鳥栖の監督はFC東京時代に衝突したマッシモ・フィッテガン氏が務めており、不思議なめぐりあわせでした。
サガン鳥栖入団後は、正守護神としてチームの躍進に貢献しています。
何度もチームの危機を救うビックセーブをしていました。
海外移籍する権田修一はポルティモネンセへ?中島翔哉と同僚に!
権田修一選手の移籍先として噂されるポルティモネンセは、ポルトガル南部のリゾート地ポルティモンにあるチームで、スタジアムの収容人員は9,000人程度と小規模なクラブです。
2019年シーズンは、中島翔哉選手がプレーしており、かつては、サガン鳥栖で同僚の金崎夢生選手もプレーしていました。
金崎夢生選手がプレーしていた当時、ポルティモネンセはポルトガル2部でした。
ポルトガル1部には、かつてUEFAチャンピオンズリーグで2度優勝したことのある強豪FCポルト、他にベンフィカ、スポルティングCPといった強豪チームがいます。
2019年1月4日現在の順位表は下記となっています。
まとめ
権田修一選手は、色々な苦労をしながら、日本代表の正ゴールキーパーに近づいてきました。
所属するチームでもコンスタントに活躍し、遅まきながら再度海外に挑戦する可能性があります。
シュートに対する反応は非常によく、安定感はあると思いますので、更なる活躍を期待したいと思います。