野洲高校サッカー部は、2006年の第84回全国高校サッカー選手権大会で、滋賀県勢初の全国制覇を成し遂げました。
2006年優勝時には、高3に楠神順平選手、高2に乾貴士選手がいました。
楠神順平選手は、川崎フロンターレやセレッソ大阪で活躍、乾貴士選手は、スペインで活躍しています。
野洲高校のサッカーはセクシーフットボールと呼ばれ、当時としては異例の非常に魅力的なサッカーを見せてくれました。
当時、野洲高校サッカー部を指導していた山本佳司監督、岩谷篤人ヘッドコーチは注目を集めていました。
パスとドリブルの野洲スタイル!監督とヘッドコーチが有名?野洲ドリ
野洲高校サッカー部の山本佳司監督は、元々レスリングの選手だったということで注目を集めました。
ケルン留学でヨーロッパのサッカーに魅了され、サッカー指導者の世界へ入りました。
1996年に野洲高校に赴任し、無名だった野洲高校を2002年の全国高校サッカー選手権大会に初出場でベスト8に導きました。
その後、山本佳司監督は、無名の公立高校を日本一に導き、『野洲スタイル』という本も出版しています。
日本一に導く大きな転機は、2003年、岩谷篤人さんをヘッドコーチとして迎え入れたことです。
野洲高校はロングボールに頼らない攻撃的なサッカーをするため、岩谷篤人さんがヘッドコーチとして具体的な戦術と技術を指導しました。
岩谷篤人さんは、1984年、小学校・中学校年代を指導するセゾンFCを設立、監督を務めていました。
岩谷篤人さんは、育成界の天才指導者であり、徹底的に個人技にこだわります。
11パターンのドリブルを繰り返し練習し、それによってサッカーに必要なバランス感覚を身につけるよう指導します。
ドリブルを徹底的に仕込んでいたことで、“野洲ドリ”という言葉が生まれています。
野洲高校サッカー部は、鬼の岩谷篤人さんと仏の山本佳司さんの二人三脚で日本一を達成しました。
岩谷篤人さんは、野洲のヘッドコーチを3年間限定で引き受けたつもりでしたが、結局10年務め、2013年春で辞めることを決心し、辞めました。
野洲・全国高校サッカー選手権優勝!個人技がすごい?
野洲高校サッカー部は、2006年・第84回全国高校サッカー選手権大会で見事、優勝しました。
高校3年生には楠神順平選手、高校2年には乾貴士選手がいました。
当時、野洲高校のサッカーはセクシーフットボールと話題になり、最終ラインからボールを繋ぎ、1対1では個人技を仕掛けるサッカーは見るものを魅了しました。
特に、同選手権の決勝戦は体育会系のサッカーが古いのではないかと思われた瞬間かもしれません。
野洲高校で活躍した乾貴士選手は高校卒業後、横浜F・マリノスに入団、セレッソ大阪に移籍し、その才能を開花させました。
その後、海外移籍を果たし、更に活躍しています。
日本人が活躍できないと言われていたスペインでも見事、活躍しています。