FCバルセロナの下部組織出身の久保建英選手は、独特のテンポかつキレのあるドリブルから巧みなシュートを決めることができ、和製メッシと呼ばれています。
2018年7月時点で、まだ17歳と若く日本に帰国後は常に上のレベルでプレーすることで、そのポテンシャルに合わせた高いレベルをキープしていて、今後の活躍が益々期待される選手です。
今後の日本代表にとって逸材と言って良い選手でしょう。
そんな久保建英選手のバルセロナの下部組織でのプレーぶりと日本帰国後についてご紹介したいと思います。
10歳でバルセロナの下部組織へ入団!
久保建英選手は10歳の時にバルセロナの下部組織に入団しました。
カタルーニャ出身以外の選手が下部組織に入団するのは非常に難しいことと言われています。
入団までの経緯は、まず日本で開催されるバルサキャンプに参加し、そこでMVPを獲得しました。
その流れで、バルサスクールの一員としてヨーロッパの大会に出場し、そこでもMVPを獲得しました。
その後、バルセロナの下部組織の練習に参加し、バルセロナの下部組織の一員となりました。
入団後、10-11歳で構成されるアレビンCで、2012-13年は30試合に出場、74得点を挙げ、得点王に輝きました。
その後も順調にステップアップしていましたが、FCバルセロナの18歳未満の外国人選手獲得・登録違反により、久保建英選手は公式戦に出場できなくなり、2015年3月日本に帰国しました。
10歳にして、バルセロナに入団するのもすごいが、海外に行くことだけでもすごいことだと思います。
やはり、本人のバルセロナに行きたいという意思と考え方がしっかりしていたのだと思います。
久保建英選手に関する著書の中で、常に上の年代の子と遊んでいたこと、そして裸足で遊んでいたことが書かれています。
裸足は、体幹を鍛え、足の感覚を鍛えるのに良かったのではないでしょうか。
恐らく幼少期に裸足でボールを蹴る南米の選手に近い感覚ですかね。
そして、テレビは見ないで、絵本及び本をよく読んだと書かれています。
これは、彼のインタビューを聞いていても良く分かりますが、しっかりとした考え方を定着させるのに非常に役に立っていたと思います。
日本に帰国後FC東京の下部組織に入団!飛び級で活躍
2015年3月、久保建英選手は日本に帰国後、FC東京の下部組織に入団しました。
2016年中学3年生の時には飛び級でFC東京U-18に昇格、同年9月にはFC東京のトップチームに2種登録されました。
同年11月にはFC東京U-23の一員としてJ3リーグの試合に出場し、Jリーグ史上最年少記録を塗り替えました。
FC東京にはJ3に所属するU-23のチームがあり、若い選手が実践を積むことができ、久保建英選手にとっても非常に良い環境だったと思います。
他にはセレッソ大阪、ガンバ大阪が同様にJ3に所属するU-23を持っています。
久保建英選手は、2017年にはJ3で初得点を記録し、トップチームデビューも飾っています。
まとめ
久保建英選手は日本に帰国後も非常に良い環境で成長できているのではないでしょうか。
年に1度はバルセロナへを訪問し、かつての同僚と共にプレーもしているようです。
日本代表としてもU-20代表に飛び級で召集されており、次の東京オリンピックにも飛び級で出場することが期待されます。
いつかバルセロナのユニフォームを着る日本人選手を見てみたいです。