ガンバ大阪下部組織で「史上最高傑作」と称された男が、2度の海外挑戦を経て、ついに日本代表としてワールドカップ出場へ。
宇佐美貴史選手は兄に影響されて幼少期からサッカーを始め、天才少年と言われながら、常に同学年のレベルでは収まらず、数学年上の年代とプレーしてきた。
ガンバ大阪ユースからガンバ大阪のトップチームに上がり、順調に成長していたが、初めて挫折を味わったのは1回目の海外挑戦の時だろうか。
そんな、宇佐美貴史選手の初めての海外移籍までと2回目の海外移籍からワールドカップ出場に至るまでの道のりをご紹介します。
ガンバ大阪から海外移籍!ドイツの名門バイエルン・ミュンヘンへ
宇佐美貴史選手は2009年ガンバ大阪で高校2年時にトップチーム昇格、17歳14日で公式戦初出場を果たした。
2010年本格的にガンバ大阪で活躍し、2011年のシーズン途中でドイツの名門バイエルン・ミュンヘンに期限付き移籍をした。
バイエルン・ミュンヘンへの移籍は衝撃的でした。超ビック・クラブです。
当時は若干バイエルン・ミュンヘンもチームが低迷している時期でもありましたが。
残念ながら、移籍後、ブンデスリーガ、UEFAチャンピオンズ・リーグ数試合の出場にとどまった。
翌シーズンは同じくドイツのホッフェンハイムに移籍するが、目立った活躍はできず、ガンバ大阪へ復帰した。
そう言えば、移籍前のガンバ大阪の監督は現日本代表監督西野朗でした。
そして、海外へ移籍した年は、同監督にとってガンバ大阪の監督就任10年目、且つ監督最終年度でした。
今回の日本代表は宇佐美貴史選手にとって久しぶりに西野監督の元、プレーする機会でもあります。
ガンバ大阪の救世主、そして2度目の海外挑戦!念願のワールドカップ出場へ
海外から宇佐美貴史選手がガンバ大阪に戻った時、ガンバ大阪はJ2にいた。
西野朗監督が退任した翌年ガンバ大阪の成績は低迷し、J2へ降格した。
そして、長谷川健太監督を迎え、J2を戦っていたシーズン途中、ガンバ大阪に宇佐美貴史選手が戻ってきた。
海外で活躍できなかった為、不安な面があったが、日本に戻ると復帰戦でいきなり得点をした。
最終的には18試合19得点と活躍し、チームを1年でJ1へと復帰させた。
海外から戻って体が1回り大きくなったように感じられた。
与えられたポジションもFWと得点をとるポジションにいたのも良かったと思う。
翌年、J1に復帰したガンバ大阪はいきなりリーグ優勝を果たす。
そしてナビスコカップ、天皇杯と国内3冠を達成した。
宇佐美貴史選手は序盤、ケガで出場できなかったものの、ケガから復帰後は活躍し、その翌年のシーズン途中で2回目の海外移籍をした。
2回目の海外挑戦はドイツのアウグスブルクに移籍した。
アウグスブルクでは目立った活躍ができず、海外では難しいのではないかと思われたが、翌年ドイツ2部のフォルトゥナ・デュッセルドルフへ期限付き移籍し、結果を出し始めた。
シーズン途中、原口元気がレンタル移籍してきて、日本人2人の活躍もあり、チームは見事2部優勝し、1部へと昇格した。
来期はドイツ1部での活躍を期待したい。
まとめ
宇佐美貴史選手は日本と海外への移籍、好不調を繰り返しながら、ついに2018年念願のワールドカップ出場を果たす。
ぜひワールドカップでは日本を勝利に導くゴールを期待したい。