2018年ワールドカップが終わり、いよいよヨーロッパのサッカーも新シーズン開幕です。
常に移籍の噂のある香川真司選手もボルシア・ドルトムントで新シーズンを迎えるのでしょうか。
トルコの強豪ガラタサライ、ベシクタシュといったチームへの移籍が噂されています。
ヨーロッパサッカーでは新シーズンへ向けた移籍は大きな関心事で、ギリギリまで何が起こるのか分かりません。
移籍が噂されるのは一流プレイヤーの証でしょう。
そんな香川真司選手は小学校、中学校をどのように過ごしたのか、高校生そしてセレッソ大阪でどのように活躍したのかについてご紹介したいと思います。
中学校時代からサッカー留学?ドリブル大好き!
香川真司選手は兵庫県出身ですが、小学校でサッカーを始め、中学校の時に宮城県にあるFCみやぎバルセロナへサッカー留学しました。
香川真司選手が小学校時代に所属していた神戸NKサッカークラブとFCみやぎバルセロナに親交があったことがきっかけです。
FCみやぎバルセロナのスタイルはドリブルを制限しないことでした。
そのスタイルに魅力を感じた香川真司選手は留学を決断しました。
とにかくドリブルが好きな香川真司選手にとってはそのスタイルが合っていたと思います。
そんなドリブル好きな香川真司選手ですが、フィニッシュにもこだわっていたようです。
常にドリブルのその先にはシュートがあったということです。
自分でイメージしたドリブルからシュートまでを何度も練習していたようです。
中学時代に徹底的に練習し、ついに高校時代に花開きます。
高校2年生でセレッソ大阪と契約!クラブチームを途中でやめてプロ契約?
香川真司選手は高校1年生の時、日本クラブユースサッカー選手権(U-18)に出場しました。
残念ながら準々決勝で敗れたものの、同大会で大活躍しました。
高校2年生になるとドリブルに加え得点力が飛躍的に上がり、プリンスリーグU-18東北でゴールを量産しました。
香川真司選手が最も注目を集めたのは、2005年9月に行われた仙台カップ国際ユースサッカー大会です。
U-18日本代表、U-19クロアチア代表、U-18ブラジル代表と香川真司選手が選ばれたU-18東北選抜が出場しました。
U-18東北選抜は同大会で3位でしたが、最終戦のU-18日本代表戦で5対2と勝利し、番狂わせを演じました。
U-18日本代表のディフェンスには内田篤人選手、吉田麻也選手、槙野智章選手、安田理大選手がいましたが、香川真司選手はそのディフェンス陣をキレのあるドリブルとパスで翻弄しました。
そして、以前から香川真司選手に注目していたセレッソ大阪が、すぐに獲得オファーを出しました。
セレッソ大阪でエースナンバー8番を背負い得点を量産!
2006年にセレッソ大阪に入団した香川真司選手ですが、1年目はプロに早く慣れることに集中しました。
2007年からはチームがJ2に降格、そんな中レヴィー・クルピ監督に見いだされ、レギュラーに定着しました。
2007年5得点、2008年16得点と徐々に結果を残し、2009年セレッソ大阪のエースナンバーの背番号8を背負い、27得点とJ2得点王になり、チームをJ1に導きました。
2008年横浜Fマリノスユースからセレッソ大阪に移籍してきた乾貴士選手と息の合ったプレーを見せていました。
2人は2018ワールドカップでもコンビを組んで大活躍しました。
そして香川真司選手は、2009年のシーズン途中でドイツ・ブンデスリーガのボルシア・ドルトムントへ移籍しました。
ドルトムント!マンチェスターU!海外3チーム目のベシクタシュへ?トルコへ移籍
香川真司選手は、ボルシア・ドルトムントへ移籍後、1年目から大活躍しました。
ボルシア・ドルトムントで2シーズン活躍後、マンチェスター・ユナイテッドへとステップアップしました。
イングランド・プレミアリーグではフィジカル重視のサッカーに苦しみ、約2シーズン過ごした後、ボルシア・ドルトムントへ復帰しました。
そして、出場機会の減少に伴い、トルコ1部のベシクタシュへ期限付き移籍することになりました。
ベシクタシュはトルコ1部の強豪で、フォーメーションは4-2-3-1を採用し、日本代表と同じフォーメーションとなります。
香川真司選手は慣れ親しんだ得意のトップ下として活躍することが期待されています。
トルコの熱狂的なサポーターのハートをつかむことができるでしょうか。
まとめ
香川真司選手は国内でもしっかり結果を残し海外へ移籍しました。
日本人トッププレイヤーと言っても過言ではない選手ですが、今後ますますの活躍を期待したいと思います。