森保一がサッカー日本代表監督に就任!どんな戦術を採用するか?

2018ワールドカップが終わり、西野朗さんの後を引き継ぎ、森保一さんがサッカー日本代表監督に就任しました。

読み方はもりやすはじめさんです。

森保一監督は、既に2020東京オリンピックを目指す五輪代表監督に就任しており、日本代表監督と兼任となります。

2018ワールドカップでは西野朗元監督の下、コーチとして帯同していました。

森保一監督には五輪代表監督と兼任となることで、若手の発掘とベテランの融合が期待されます。

そして2018ワールドカップに帯同した経験を生かし、更にレベルアップすることが期待されます。

森保一監督をあまり知らない方も多いと思いますので、選手時代コーチ及び監督の経歴についてご紹介したいと思います。

選手時代のポジションはボランチ?あのドーハの悲劇を経験

森保一監督は、長崎日本大学高等学校出身です。

当時、長崎県には国見高校、島原商業高校の強豪校がいて全国大会には出場できませんでした。

高校卒業後、マツダ(現サンフレッチェ広島)に入団し、そこでハンス・オフト監督に出会い、レギュラーに定着しました。

その後、1992年ハンス・オフトさんが日本代表監督に就任すると、森保一さんも日本代表に召集されました。

当時の日本代表には三浦知良選手、ラモス瑠偉さんといったスター選手がおり、初めてのワールドカップ出場に期待が高まっていました。

森保一さんは当時無名の選手でしたが、ラモス瑠偉さんらが攻撃に専念する一方、中盤の底を幅広くケアし、ボランチというポジションを広めたと思います。

日本代表はワールドカップアジア最終予選で、勝てば悲願のワールドカップ出場となる最終戦、イラク戦でロスタイムに同点とされ、出場を逃してしまいました。

ドーハの悲劇と呼ばれています。

今でも語り継がれる非常に悔しい一戦でした。

森保一さんは、1993年Jリーグの開幕と共にサンフレッチェ広島の選手として活躍し、選手としては引退しました。

サンフレッチェ広島の監督として就任1年目で優勝監督に!

選手として引退後は、JFA公認S級コーチライセンスを取得し、日本代表U-19、U-20、サンフレッチェ広島、アルビレックス新潟のコーチを歴任しました。

2012年ミハイロ・ペトロビッチさんの後を受けて、サンフレッチェ広島の監督に就任しました。

就任後1年目でJ1優勝、5年半の期間で3度の優勝を果たしました。

森保一監督は、ミハイロ・ペトロビッチさんの下でコーチも経験しており、その戦術に大きな影響を受けていると思います。

森保一監督は2017年に東京オリンピックを目指す五輪代表監督に就任し、今回兼任で日本代表監督に就任しました。

日本代表のフォーメーションは既に五輪代表でも採用している3-4-2-1を採用するのではないかと言われています。

サンフレッチェ広島時代に採用していたフォーメーションでもあります。

ブロックを敷く時は5-4-1、マイボールの時は3-2-5と可変システムになります。

非常に日本人に適しているのではないかと考えているようです。

素早くサポート、連係、連動して、組織的に崩していくシステムです。

本格的な3バック採用は2002日韓ワールドカップに出場した時のフィリップ・トルシエさん以来でしょうか。

システムが変わり、新たな人材発掘もあるでしょう。

まとめ

森保一監督は就任後、五輪代表に日本代表に試合が目白押しです。

五輪代表監督も、今回はオリンピックも地元開催の為、非常に大きなプレッシャーがかかると思います。

しかしながら、有望な若手が育って来ているので是非活躍を期待したいです。

そして、若手を融合させて、日本代表を更にレベルアップさせて、2022カタールワールドカップでまずはベスト8進出を期待したいです。

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