2018年9月森保ジャパンの初陣に車屋紳太郎選手の名前がありました。
これから日本代表の中で特にサイドのレギュラーポジションを争うことでしょう。
複数のポジションをこなしていた車屋紳太郎選手ですが、高校時代にサイドバックのポジションに転向し、転機が訪れました。
そんな車屋紳太郎選手のプロ入り前とプロ入り後についてご紹介したいと思います。
サッカー強豪校の大津高校出身!谷口彰吾選手とずっと同じ道を?
車屋紳太郎選手は熊本県熊本市出身です。
現在、同じ川崎フロンターレでプレーする谷口彰吾選手の誘いで小学校の時、熊本ユナイテッドSCでプレーしました。
車屋紳太郎選手は谷口彰吾選手の1学年下ですが、常に後を追うようにサッカー人生を歩んできました。
高校は地元のサッカー強豪校の大津高校に入学しました。
現在、ベルギーリーグで活躍する植田直道選手、豊川雄太選手も大津高校出身です。
彼らの先輩になります。
既に大津高校に入学していた谷口彰吾選手は1年時からボランチとして活躍していました。
車屋紳太郎選手も入学後、徐々に頭角を現し、ボランチの一角としてプレーするようになりました。
車屋紳太郎選手が2年生の時には、谷口彰吾選手と不動のボランチとして活躍しています。
2人が組むとチームに推進力が生まれると当時は評価されています。
そして、車屋紳太郎選手が2年のインターハイ前に転機が訪れました。
サイドバックに負傷者が出たことで、車屋紳太郎選手がサイドバックにコンバートされたのです。
サイドバックにコンバートされると、絶妙なオーバーラップと精度の高いクロスをあげて、チームに活力を与えました。
サイドバックでも谷口彰吾選手との連係は健在でした。
高校卒業後、プロ入りも噂される中、谷口彰吾選手も進学した筑波大学に入学しました。
筑波大学で後に川崎フロンターレの監督となる風間八宏監督の下、しっかりと鍛えられました。
筑波大学卒業後川崎フロンターレへ入団!谷口彰吾選手とも再び同じチームへ
筑波大学を卒業すると、複数クラブ競合の末、川崎フロンターレへ入団しました。
既に1年早く谷口彰吾選手が入団しており、また同じチームでプレーすることになりました。
2年目からはレギュラーに定着し、活躍しています。
本職のサイドバックだけでなく、3バックの1角としてもプレーしています。
2017年は川崎フロンターレの初優勝にも貢献しました。
まとめ
車屋紳太郎選手はトップ下、ボランチ、そしてサイドバックにセンターバックと様々なポジションをこなした経験があります。
ユーティリティープレーヤーとしての能力も高く、これから川崎フロンターレにとどまらず、日本代表のメンバーとしても活躍が期待される選手の1人です。